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別々の入り口から入ったら、混浴だった(安倍自民と小池希望)

表題の通り。

ある方がSNSでつぶやいておられることをお聞きして、「これは合点!」と、演説でも紹介させていただいているフレーズです。

「安倍自民が酷すぎる」「安倍なんか辞めさせろ」という言葉を、この選挙戦でも何度となくお聞きします。安倍首相への国民の不満が非常に強く、内閣支持率が落ち込む中での総選挙です。これを背景に、小池百合子が新党立ち上げで国政に打って出たわけです。当初、すごい勢いで支持が広がったのですが、やはり安倍自民党への不満の反動に過ぎなかったと証明されつつあります。小池新党の化けの皮が剥がれ=希望の党が安倍自民党と基本は同じだということがだんだん人々に知れ渡ってきたからです。とは言え、まだまだそのことは知られていない。間違って、希望の党が安倍自民党を変えてくれると思い込んで投票したら、大変なことになるよということをわかりやすく表現された方がおられたのです。

「別々の入り口から入ったら、混浴だった」

名言です。


五木ひろしじゃないんで。

総選挙の公示まであとわずかですが、坂本ひろしを紹介するビラを急いで作り、配布を開始しています。

ぜひポスティング活動にご協力ください。またこのビラをつかって、ぜひとも支持の輪を広げてください。

小さなカードタイプのビラも作れたら良いかなと思っています。

事務所に出入りする仲間(大昔の少女)から、五木ひろしみたい!いいじゃんこのビラ!、とお褒めの言葉をいただきました。

そういえば、小学校の時、「五木ひろしだ」ってさんざん言われてたんですが、たしかに笑った時の目の細くなる加減が似ているのです。自分としてはそれが嫌だったんですが、今となっては懐かしいですね。

「五木ひろし」で話が通じる人もだんだん減って来ているとは思いますが、大晦日の白組に絶対に欠かせない人です。坂本ひろしも政治を変えるために欠かせない人だと言われるようにがんばらねばなりません。

とにかく、五木ひろしでも猫ひろしでも、勘違いでもなんでもいいですから、覚えていただければ大歓迎です。

こぶしを効かせて演説してみるか!

カラオケ屋で練習しなきゃ。


「国民は二の次」の新党づくりやパフォーマンス政治にはうんざりだ!

希望の党が立ち上がったが、またまた対立構図が人為的に作られて、国民はそれに翻弄されると思うと、うんざりする。

民進党が事実上解党して希望の党に加わる。吸収されるということらしい。しかしその党は、核武装について言及し、日本会議に深く関わり、安保法制に賛成し憲法改正を主張している人が党首なのである。その人が安倍政権と対決するという。

民進党はこれまで曲がりなりにも、「立憲主義の回復と、安保法制の廃止」という大義の旗のもとに、国民・市民と他の野党3党との共闘に努力をしてきたはずだった。しかし、総選挙での立候補予定者の同党公認をすべて取りやめ、立候補したい者は、希望の党へ公認を申請することになるそうである。小池の軍門に降る(くだる)ことになるのだ。

民進党の幹部は(いや、前原代表は)、市民と野党との2年にわたる努力を無にし、約束を反故したのであり、犯罪的な行為だ。前原氏は両院議員総会で、憲法違反の安保法制はダメだ、安倍に反対すると言ったようだが、小池は「安保法制に賛成し、憲法改正に賛成する」人でないと、希望の党として民進党の候補は公認しないと言っている。何だかもうめちゃくちゃである。

前原氏は「名を捨てて、実を取る」と言ったけれど、名もすてて、実も捨てる、完全な身売りということではないか。

希望の党には、元自民党もいるし、日本会議=超右翼勢力もいるし、野党共闘に反対して民進党を抜け出した細野や松原のような人物もいる。「しがらみ政治の脱却」と言うが、いろんな意味でしがらみだらけの党だ。

小池自身の政党遍歴をみれば、これから間違いなく期待を裏切られ、振り回されることは必定。小池にとって、政党はたんなる足場であり通過点なのだから。

ウィキによると小池百合子は、政党を渡り歩いたのは結果であって、自分が悪いんじゃないという。

「改めて申し上げると、それは政党の離合集散の結果であって、政党名が変わっただけであって、私の主張、思想、そして信念は一度も変えたことがない。改めて思うと、政党というのはあくまで機能体であって、仲間内の運命共同体ではないと思う」

政党とはそんなに軽いものなのか?政党の理念や綱領などを示し、自分の党を選んでくれと選挙のたびに公約を掲げて訴え、支持を得たのではなかったか。そしてそれを信じて投じた国民の一票というのは、そんなに軽いものなのだろうか。

この先、小池ブームは、大量に垂れ流される(すでに流されている)「安倍・自民党VS小池・希望の党」の図式で、押し付けられるであろう。

かつて、日本新党が生まれた時、どんなに国民は熱狂しただろうか?「守旧派か改革派か」「自民か非自民か」などと、新党こそが改革派という圧倒的な世論が作られた。

小泉ブームも、メディアが意図的につくったのものだった。「自民党をぶっ壊す」「郵政民営化が改革の本丸だ」と対立構図が意図的に作られ、どっちが勝つか負けるか、刺客をおくり送られた選挙区の実況を面白おかしく伝え、国民は振り回された。ホリエモンが選挙に利用され、選挙報道がワイドショー化した。

その後も、「第三極」云々とみんなの党やら維新の党やらと、結党と解党が繰り返されて来た。みんなの党も随分ブームになったものだが、賞味期限はわずか数年だった。

自民党政治が停滞した時に必ず、「政治が変わるかもしれない」と思わせる対立構図がつくられ、その度に国民は熱狂し、そして必ず一定の年月の後には、再び自民党政治に回帰するという経験をして終わる。結局「誰がやっても同じだ。変わらない」という失望を広げ、投票率が下がり、無党派層が「第1党」になるのは当然かもしれない。

割りを食ったのは、その時々、躍進の流れが来そうな共産党だった。

政治というのはとても奥深く、複雑なものだから、選挙で選ぶ側の国民は、日頃から政治や社会のことを考え、関わっていかないとなかなかその本質や構造に迫ることは難しいものだと思う。政治というのは、基本「よくわからないもの」なのだ。

政治家や政党は、これまでの実績を国民に知らせ、そのことで支持者を増やさなければ選挙に勝てないから必死になる。「あれをやりました」、「これをやりました」、と。また、「あれをします」、「これをします」という聞こえのよい公約も、多少の誇張もふくめてアピールしなければならない。「実現できるかもしれない」と国民に思わせなければならないのだ。

共産党などがやっている活動では、地味に市民の生活を改善する活動などどちらかと言うと目立たない事が多いと思う。「実績」が見えにくいし、また、共産党の議員さんなど、アピール下手な人が多いために、とても損をしてると思うことがある。

自民党などは、橋を、道路を、ダムを作った・つくります、企業を誘致した・誘致します、とこういうのが大得意で、実にわかりやすい。政権をもっていて、多数派だからこそという側面はあるけれど。

それから、左派などが憲法改正反対とか理念で勝負する(と思われやすい)世界での戦いにでは、それはとてもとっつきにくく、国民にはわかりにくいもので、なかなか有権者には響かないと思うことが多々ある。

だから、市民のために本当に頑張っている人よりも、頑張っているように見える人、パフォーマンスが上手い人の方が目立つし、メディアもネタとして取り上げやすい。それが上手い人は、選挙に強いことになる。そして、取り合えず票になりそうなことを嘘でもいいから今のうちに言っとけ(どうせ国民はわかってないだろうから、言ったもん勝ちだ!)と、バラ色の公約をガンガン投げてくるのことについては要注意である。

希望の党は、原発反対だと言っているけれど、顔ぶれがみんな原発推進。同党結党に連合会長が関わっているのになぜ反原発の公約が出てくるのか?「これは嘘でもいいから反原発を言っておけ、勝てばいいんだから」ということだったのではないか。消費税増税凍結って、希望の党のほとんどみんな消費税賛成だったろう?

小池百合子って、あなたが思っているような人ではない。その正体はネットで探せばいくらでも出てくる。

そういうことである。

政治には、非常に薄っぺらく無内容のものであっても、あるいは嘘であっても、それが市民からとても良さそうに見えるものなら大いに利用するという力が働きやすく、そういうことを取り上げることに長けた人、パフォーマンスが上手な政治家や政党が勝利していくわけである。虚しいが、これが現実だろう。この現実を本当に変えていくためには、やはり、国民の側が主体的に政治に関わり、政治の本質を見抜く「目」を持たなければならないのだろうと改めて思った次第。

「希望の党」騒動

それを一言で言うと、「国民不在」だと言うことである。実に腹立たしい。そして、国民は「なめられている」。

自民党を批判するかのようなパフォーマンスに長けた、第二自民党・自民補完勢力である「希望の党」の真の姿を、この総選挙で、しっかり批判し、本当の選択肢はどこにあるかを訴えなければならない。