残業をしないでも暮らしていける条件を求めていくことが大事

先日、20代の若者の働く環境について実情をお聞きした。

あるスポーツ関係のサービス業で働く青年で、1店舗の仕事を回すには基準は5人だそうだが、実態は3人でやっているという話であった。


聞くと、ボーナスがほとんど出ない、ミーティングと称する手当千円のみの残業が月1回ある、次の正月休みは1日減らされる、社長の思いつきで仕事に振り回される。税金対策でベンツを買って社長が乗り回している、新店舗を出すらしくさらに仕事がきつくなりそうだ、やめたい。といった話。

長時間、過密労働によって少人数の労働者へしわ寄せをし、得られた儲けを規模拡大に優先的に回すというやり方。これは、人間消耗による資本の増大。搾取の増大である。

「資本は、労働者の健康に何ら顧慮も払わない」(マルクス「資本論」第1巻・8章)の通りである。

残業を増やすことは、あるいは労働密度を高めることは失業者を増やすことである。失業増は労働市場での労働力供給過多(求職者をふやす)で賃金低下をもたらす。賃金低下による労働者の収入減が残業を受け入れる環境を広げることとなり・・・以下略。さらに外国人を無法(奴隷のよう)な低賃金労働者として増やすことは、こうした悪循環をさらに深刻にする。この流れを逆転させる必要がある。

劣悪な労働条件のもとで働く青年たちの実態を変えるためには、「人がいないので仕方なく」残業を受け入れるとか、休みが取りにくい(有給休暇でさえも取れないなど)とか、そんな事態に直面した時に、断固「休みます」「帰ります」と言わなければならない。残業をしないこと(裏返せば、必要な人員の確保を求めること)が、自分たち(労働者全体)の利益を総体としてを守ることになるからである。

残念ながら、労働組合運動自体が弱まっており、そういうことを教わる機会がまずない。また、仮にそれを理屈の上で理解できても、実際の現場で行動に移すとなると、大変なエネルギーが必要となる。でも、行動を起こすこと以外に、現状を変えていく道は開かれないのもまた真理である。

その時に必要なのは、一人でたたかわないこと。撃沈されるだけだから。まず、本音で語れる仲間たちをつくり、信頼できる仲間たちのネットワークをつくること。そして結束して職場内の要求を会社側につきつけることである。個々の企業だけでなく同一産業での一致した要求を資本に対して突きつけていくこと。さらに一国の全産業でそれを行うこと。さらにさらに、全世界の労働者が団結して、生活条件を脅かすものに対して要求を突きつけること。例えば多国籍巨大企業などに対して、タックスヘイブンの抜け道を塞ぎ適切な課税を行うこと、CO2排出規制を逃れようとする動きに厳しく対峙することなども、そのたたかいの要素であろう。

「万国の労働者よ、団結せよ」

自分個人の利益を守ることだけを追求しても、結局は自分自身を守れない。個人の利益は集団の利益と一体になっていることを理解した行動が大事なのである。