「富山は日本のスウェーデン」って・・・何ともはや

帯「なぜこんなに住みやすいのか」って、やめてほしいな。書名で釣る商売か?。

「北日本新聞」8月18日付の書評欄に、「富山は日本のスウェーデン」という見出しが踊っていたので、目を疑った人も多かったに違いない。

これを読んで、いやタイトルだけで「やっぱり富山はすごい」と思い、購入する県民も出てくるかな。
まあ、商売的にはそれはありかもしれないけど。

大々的に北日本新聞が持ち上げているが
富山市の書店で平積みされていたが・・・

とにかく読んでみないことには始まらないので、購入して読んでみたわけである。

この間、日本では小泉構造改革が社会保障に大ナタを振るい、安倍政権ではさらにこれを上回る社会保障の改悪が続いている。これまでの政治は一貫して「社会保障財源は、消費税増税しかない」というイデオロギー=つまり消費税増税がいやなら低福祉を甘受せよ。高福祉を求めるなら消費税増税やむなし=という、究極の選択を国民に強要してきた。そうやって社会保障の充実を求める国民的願いを押さえ込んできたのが日本社会であり、自民党政治であった。一般庶民のなかで〜消費税増税でいっそう生活が困難にさらされるはずの階層の人中からさえ〜「社会保障のためなら消費税は増税するべきだ」という人が多いのは、こうした影響が大きいと思う。

地方は、地方交付税の削減や公共事業の削減、市町村合併など、その基盤を崩して、地域社会や経済を疲弊させる方策で痛めつけられてきた。

教授は、

「公」=国や自治体が社会保障制度の基盤整備に責任を持つ社会が、社会民主主義の社会=スウェーデンだとしているようだ。そういう道を選ぶという方法はないわけではない。ただし高福祉・高負担で。著書では、大都市ならそれもありかな、としている。

しかし、世の中そんなに甘くはない。地方ではほとんど無理だ。日本には独自の事情があって、福祉充実=暮らしやすい社会をスウェーデン型とは違った道で追求していくのが良いのではないか。そのヒントは、現時点で与えられた枠組みの中でも(つまり、前述のように自民党政治が社会保障を削りに削って公的な責任を放棄した現状の中でも、そして、地方も疲弊しているという現実の中でも)立派に暮らしやすい環境を作りだしている地域に目を向けてみることだ。その地域とはズバリ、富山県だ。実際に、持ち家率日本一で、暮らしやすさ日本一で、女性の正社員比率日本一で、スゴイではないか! とおっしゃる。

各種指標、幸福度の実感、それらの数字だけから見る限り、「社会民主主義や北欧諸国を高く評価する人たちの理想の姿と重なっているように思われ」・・・「社会民主主義とは自由、公正、連帯をめざす国際的な運動と簡潔に定義され」、「彼ら」(=富山県民)「が作り出した社会は、少なくとも数字を見る限り、これらの条件をかなりの程度満たしたもののように見える」(p67)としている。「日本のリベラルはスウェーデンを約束の地として語り、理想の社会とみなしがちである。だがじつは、社会民主主義的な政策を通じて目ざされる状況、帰結が、日本の北陸に、富山にあったとしたらどうだろう。」(p69)

スウェーデンの社会民主主義とは違うが、しかし、いろいろな指標をみてみてみたところ、スウェーデン的な社会が富山県にあったことに気づいた!!そうだ。

日本国民で富山県がどこにあるかさえもわからない人は多数いるだろうが、そんな地味な富山県にこそ参考にすべき、未来の福祉社会の1つの姿があり、暮らしやすい社会(みんなで支え合う福祉充実社会)がある、というわけである。

著書では、富山県という地域を歴史的に振り返り、どうして工業県となったのか、なぜ女性の正社員比率が高いのかなど、へえ〜と思うようなところが多くある。3世代同居が多いという世帯の特徴、地域にある消防、婦人会、老人会等々昔ながらの共同のネットワーク・共助のシステムが残っていること、これは社会を形作る重要な要素だと私も思う。歴史的に決して豊かではない、むしろ貧しい地域であった富山県が、共助の仕組みを強化し支え合う社会システムを作り上げてきた。近代に入り豊富な河川を生かした水力発電が栄え、これを土台に日本海側随一の工業化すすんだという好条件をえた。これらが今日の「豊か」で「住みやすい」富山を形作る土台になっていると言えるだろう。
(教授はそんな言い方はしていないが)昨今の社会保障切り捨ての中でも、創意工夫をして人々が支え合う仕組みをさらに開発し、元気に頑張っている事例を紹介している。「富山型デイサービス」や、過疎化の中で地域をどう守っていくかの実践例として朝日町笹川地区の取り組みも紹介されている。射水市の取り組みも紹介されている。

富山県民って、寡黙で真面目。文句も言わずにコツコツとよく働く。そういう県民性、特性も活かしながら、現実をどう乗り越え発展させていくか。現状から何を活かし何を変えていくか、その視点で社会を少でもよくして行こうというスタンスは大事なことだ。

私はそのうえで考える。

財界・大企業大優遇政治の不公平に目をつむっていては、福祉充実社会を実現することは絶対に不可能だと思う。「現状でどう生き延びるか」といった観点ではなく、今の現状を改善するには根本的にどこを変えるべきなのかというスジ論が大事だと思う。この点を落としてしまっては画竜点睛となってしまう。

「自助共助公助のバランスが大事だ」という言い分は聞こえがよいけれど、それは、金持ち大企業の社会的負担をどんどん軽減し、さらに「公助」=国など公の責任範囲をどんどん狭め、そのしわ寄せを共助と自助に転嫁するという論理に絡め取られていく重大な弱点をもっている。

重ねて言うが、限られた資源の中でいろいろと工夫し、我慢し、より良い方策を紡ぎ出してきていくという富山の先進的な特徴・側面に着目することはとても大事だし、住み良い社会への努力の1つの実践例としてそれを紹介することは大いに結構。しかし、そのような努力は富山県にかぎったことではない。

しかし、このような富山県の特徴を「スウェーデン」などと形容するようなことは、完全なミスリードと言わざるをえない。

率直にいって「気持ち悪い」という感じでなのである。

早速それは当たった。総裁選の候補=石破茂氏は、県内自民党員向けメッセージで「富山は日本のスウェーデン」を取り上げたそうだ。

そういうことなのだ、政治的には。そこに「気持ち悪さ」を感じだのだ。


先日はうちの党事務所に長野県の番号らっしいところから、「富山県で日本のスウェーデンだと聞きました」と電話をかけてくる女性がいた。私は、「富山は日本のスウェーデンではありません!!」キッパリ答えておいた。やっぱりそういう反応があるわけ。

教授は、富山県行革アドバイザーである。著書あとがきには、「知事にお目にかかれたのは幸運」とある。そういうポジションに井手氏はいる。そこをきちんと踏まえておかなければならない。

この先、2019年春には統一地方選(富山県議選・舟橋村議選)があり続いて参院選がある。おそらくこの著書の「書名」だけが都合の良いように使われ、一人歩きするであろう。富山はいいところだ、と。現状肯定の材料として。

8月31日の北日本新聞にはこんな見開き広告が。こうやって、「全国1位」が大好きな富山県民のメンタリティが醸成されていくのだろうか。疲れる。なんともはや。

ギャグかと思うような広告が北日本新聞に掲載されていた。そんなに日本一が好きか。よくみて見ると、年度が違う全国1位をかき集めてきてる。