富山県立高校再編方針“生徒の意見は聞く必要なし” 上からの押し付けはやめよ

富山県立高校の再編が問題になっている。私の出身である南砺市では、福光高校の廃校が検討の対象になっている。県教委が定めた方向は、1学年4学級未満または160人未満の高校が統廃合の検討ということだから、3学級の福光高校が対象となるわけである。私の母校(井波高校)はすでに5年前に廃校=福野高校に編入となっており、今はすでに更地にはって影も形もない(と思う。未確認なので)。実事寂しいものである。いつも夕方になると高校野球部の金属バットの打撃音が聞かれた。私もその部員として3年間汗を流した。

県は、各地で画像の記事のような意見交換会をおこなっているが、既定の方針について一応県民に説明し意見を聞いたという形、つまりアリバイ作りをしているという匂いプンプンだ。これまで十分に検討をして来た結果ということらしいが、関係地域住民や生徒の前でこうした実質的な議論は初めてだろう。有識者等からの意見でも反対意見がかなりの割合だったようだ。

高校再編砺波学区意見交換会(2回目)を報道した記事では、福光高校の生徒が次のように指摘。

「これまでの議論に高校生の意見が反映されていない」と指摘し、「実際に高校に通っている生徒や、これから受験する中学生の意見を取り入れなければ『子どもファースト』とは言えない」

これに対して、教育長は、

「自分の通っている高校の統廃合に賛成する生徒はいない」として高校生の意見を聞く場は特段用意しない考えを示した。

という。とても冷たい言葉だと思う。記事ではさらに、

「子どもに意見を表明する権利がある」「選挙権年齢も引き下げられた」と会場からは批判が続出した。

地元住民や関係者から批判の言葉が噴出している。

地域住民にとっては、学校というのは私たちの「心の拠り所」。私たちのアイデンティティなのである。「学校がなくなったら寂しくなったね」という感傷的なレベルの話ではなく、地域にとってなくてはならない存在なのだ。

お上の都合で「1学年4〜8学級が望ましい」「全国でもそうだ」ということで方針を押し付けるようなやり方はダメだろう。現状からすると少子化はまだまだ続くわけで、今回の再編の後もまださらに再編へと進まざるを得なくなるのではないか。1988年がピークで全県の1学年が19000人、現在はその半分に迫り、今後さらに減っていく予測で、まさに激減といっていい。生徒減で部活動が成り立たないなどいろいろな面もあろうが、部活動をどうしても学校で維持しなければならないのか?という発想だってあって良いだろうし、1学年が2クラスや3クラスだって、いや1クラスだっていいじゃん、そんな発想があったって良いのではないか。南砺平高校はいま1クラス。地域的・地理的事情でそれが認められているなら、福光高校だって、泊高校だって、大門高校だって「3クラスでもよい」という理屈は、賢い県なら考えられるだろう。

現在40人学級を30人学級にすればどうなるか。福光高校を30人学級にすれば3クラスが4クラスになる。いや、福光や泊は、クラスを20人にしてしまって、特色を出してしまう。ピンチをチャンスに変えるって発想はどうだろうか。他県に先んじて少人数クラスを全県的に普及し(特に過疎地域は)、学力向上を勝ち取れば、「教育県」として知事はいっそう自慢できるじゃないか。

お上ばかりみているとか、他県の足並みを揃えることを気にしているような県は、高校再編の進め方もやはり上からの押し付けにしかならない。

新しい時代にふさわしい、地域が求める新しい高校のあり方を今こそ追求し、独自の教育県へと進化・発展させる道を進んではどうだろうか。

 

2017年8月12日北日本新聞より

富山県のページから、→県立学校整備のあり方等に関する報告書

県立井波高等学校のHP(古いものがきちんと残されていたのでリンクします)

南砺市長・田中幹夫さんのブログ→「高校再編について

県立高校前期再編計画に伴う井波高等学校跡地の活用に関する要望書(H21.2)南砺市HPから。この本文を読むと、再編による井波高校の廃校には「大変な落胆」をしたと記されている。井波高校が、「井波地域および住民にとって、非常に重要な存在(シンボル)」だったと。高校に限らず、学校とは地域住民の心の拠り所なのである。

井波高校の閉校式の様子を撮撮影した動画メモリアルソング、校歌は最後の2分ほど。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です