『1984年』の国民監視・独裁政治を彷彿させる「スノーデン」


先日観てきた映画「スノーデン」
CIA(中央情報局)、NSA(米国国家安全保障局)に勤務していたエドワード・スノーデン氏によって、国家機密が暴露・告発された。それに端を発した大事件と主人公の葛藤を描いていた。
米国は、全世界の国家・個人の膨大な、あらゆる情報を監視し、その情報が、自国の安全保障・外交国家戦略の土台となっている。その諜報、撹乱活動はすさまじいもので、例えば日本の米軍横田基地にスノーデン氏が着任した際の描写では、日本の原発をはじめとする発電所やあらゆるインフラのネットワークにすでに侵入しており、日本中の電源を瞬時に落とすことも可能だという。
各国の首脳や資産家など狙いをつけた人物の人脈を全て調べ上げ、対象の人物のわずかな弱点を突いて動きを止めたり誘導する。政治的抹殺も赤子の手をひねるようなものだといった感じであった。
あなたのパソコンや端末が遠隔操作されて、情報がダダ漏れ。メール、SNS情報は完全に筒抜け。
私たちの個人情報は完全に掌握されている。背筋が凍る話だった。
まあ、そういう世界に私たちは生きているという前提で、できる範囲で防衛していくしかないだろうと、これが現実なのだと半ば諦めて思う。
しかし、だ。
人間には自分の秘密を侵されない権利がある。世界60億人の一人ひとりにはそうした固有の人権があり、個人の尊厳が守られなければならない。
何人たりとも、そしてどんな巨大な権力でさえも、個人の権利を犯すことは絶対にできないのである。

パンフレットでも指摘されていたけども、ジョーオーウェルの小説『1984年』で、主人公を監視し拷問し思想改造する人物として描かれているオブライエンが、スノーデンの上司として出てくるコービン・オブライアンと意図的にダブらせている。『1984年』では、影の支配者ビッグブラザーが、テレスクリーン上に現れて国民を扇動するが、映画では、コービン・オブライアンが、スノーデンを支配し説得する図として描かれていた。
米国の情報監視機構とその運営に対する告発は、独裁政治への道を阻止しようとするたたかいなのだ。