人格化された資本

人格化された資本とはなかなか渋い表現だな

4月7日夜開催された「社会は変わる」セミナー第3回目は、資本主義の利潤獲得欲求が私たちの生活にどのように影響するのかという章と、資本主義を乗り越えた次の未来社会はどうなっていくのかを考える章でした。

セミナー4回目

資本主義の生産は利潤獲得が最大の欲求であり、それは結果として、

物を果てしなく作る(剰余価値を最大化)

物を果てしなく売る(剰余価値=利潤を獲得するための販売競争)こと

が求められる経済社会になってしまうわけです。そこでは、生産を拡大するために長時間労働、過密労働が要求されます。また生産効率のアップや不変資本を遊ばせないため、例えば昼夜に交替制労働も導入して生産設備を無駄なく使い切り、その更新を早めてより生産性アップを追求します。

夜間労働、児童労働など、過酷な「労働者使い捨て」の労働形態が生まれるわけです。今風に言えば、ブラック企業の根源がここにあるということです。

「労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わ ない。」(資本論・第1巻・8章)

しかし、こうした理不尽な労働者使い捨てに対抗し、労働者は団結し、普通選挙権の獲得などを求め、労働時間の短縮の法制化のたたかいに立ち上がりました。1850年の10時間法成立がその端緒となります。

では、「10時間労働」(今なら8時間に)が決まるのはどんな要因によってか?です。

①資本家は、労働力(1労働日)の買い手として労働力を自由に行使する権利を得て、出来るかぎりそれを使い切ろうと=労働時間の延長・労働密度を高めます。これが使用者の正当な権利。

②一方で、労働者は所有する労働力を翌日以降も、また次世代の労働力(子孫)を養育しそれを供給し続けるためにも、正当な賃金を得て、かつ、十分な休息も得て、引き続き資本家に相対する必要があります。長時間労働でヘトヘトになり翌日の仕事に差し支えたらダメ。子どもを育てる余裕のないほどの過酷な労働ではダメです。だから、労働力の所有者である労働者は、その浪費をできるだけ抑える。これが、労働者の正当な権利。

つまり、①と②は、それぞれ正当な権利同士のぶつかり合いで、その決着は、結局のところ、資本(総資本)と労働(総労働)との力関係によって決まるのです。

こうして一国の標準労働時間が、国法によって定められ、日本では、8時間となっています。

資本家は、こうした社会的な制約をかされなければ、労働者を酷使し、あくなき利潤追求に邁進します。

これが資本の性質。どんなに良心的な社長さんであっても、資本主義の利潤拡大競争という土俵の上では、結局その競争とは無関係に営みを続ける事は出来ないわけです。競争に乗り遅れれば、没落から免れないからです。

マルクスが

「人格化された資本」
(資本論・第1巻・22章)

と表明したのはこういうことです。

労働者が労働時間の適正化(適正な労働条件)を社長の善意に託すのは現実的ではなく、法律による強制こそが資本の横暴を食い止める確かな力になります。

実際に、現代日本では、労働者の労働時間を伸ばし、残業規制を取っ払おうとする資本の側(経団連とその利益擁護政党である自民党などが労働法制の改悪をいつも狙っています)に対し、労働者の側がそれを押しとどめ、残業規制の現実的な法整備を求めて運動をしています。このような、力と力のせめぎあいによって、労働条件が規定されていくということです。

日本共産党がブラック企業規制法案を国会に提出したことで、理不尽な企業の動きに一定の歯止めをかけることができたのは、その象徴的な実例です。

(続く)

【参加された方の感想】かなり遠くに感じていた哲学や経済学でしたが、身近で驚きでした。「大量生産、大量消費、大量破棄」の現代にもやもやしたものを感じていましたが、将来が恐ろしくなりました。今の環境に慣れてしまった子供たちのことも心配です。多くの人がもっと今に疑問を持ってほしいと強く思いました。マルクスってすごい。もっと知りたいです。って感じです。

「人格化された資本とはなかなか渋い表現だな」への2件のフィードバック

  1. こんばんは。4/7のセミナー、興味深そうな内容だったのですね〜。参加出来なくて残念です! 明日のテーマも、ちょうど、今、参院選で野党共闘が実現しつつあるなか、共産党の綱領路線をめぐってデマが流布されているところの部分ですね。しっかり学んで、確信をもって、野党共闘の活動に参加したいところです。また、聴講させて頂いてもよろしいいでしょうか?

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