高岡市議選「みそぎ」で終わらせるな!今こそ市民本位の市議会を!

県内各メディアは、一貫して政務活動費不正問題について追及している。この秋に予定されている高岡市議選について、本日付北日の社説。

富山県議会と富山市議会は、それぞれ補欠選挙と、富山市本選挙(2017年4月16日執行)で、不正についての市民の審判を仰ぐ機会があった。その結果、一定の議会改革も進んでいる。しかし、高岡は昨年来の相次ぐ不正が指摘され14名もの不正・不正疑惑議員が明らかになったにも関わらず、それについて市民の審判、つまり選挙が行われていない。

10月22日投開票となる市議会議員選挙で初めて市民の意思が示されることになる。不正・不正疑惑議員が、この選挙に10名前後出馬の見通しであり、市民はどう判断するかが注目される。

不正議員が続出しているため、市民に白けムードがただよい、投票率低下という結果になる可能性がある。富山市議会でも投票率が大きく落ち込んだが、しかし今こそ「不正議員を2度と産まない」という意思を結果に表す機会としてこの選挙をとらえ、積極的に行動し、不正議員・疑惑議員候補に厳しい結果を出すことが求められると思う。

 


富山県立高校再編方針“生徒の意見は聞く必要なし” 上からの押し付けはやめよ

富山県立高校の再編が問題になっている。私の出身である南砺市では、福光高校の廃校が検討の対象になっている。県教委が定めた方向は、1学年4学級未満または160人未満の高校が統廃合の検討ということだから、3学級の福光高校が対象となるわけである。私の母校(井波高校)はすでに5年前に廃校=福野高校に編入となっており、今はすでに更地にはって影も形もない(と思う。未確認なので)。実事寂しいものである。いつも夕方になると高校野球部の金属バットの打撃音が聞かれた。私もその部員として3年間汗を流した。

県は、各地で画像の記事のような意見交換会をおこなっているが、既定の方針について一応県民に説明し意見を聞いたという形、つまりアリバイ作りをしているという匂いプンプンだ。これまで十分に検討をして来た結果ということらしいが、関係地域住民や生徒の前でこうした実質的な議論は初めてだろう。有識者等からの意見でも反対意見がかなりの割合だったようだ。

高校再編砺波学区意見交換会(2回目)を報道した記事では、福光高校の生徒が次のように指摘。

「これまでの議論に高校生の意見が反映されていない」と指摘し、「実際に高校に通っている生徒や、これから受験する中学生の意見を取り入れなければ『子どもファースト』とは言えない」

これに対して、教育長は、

「自分の通っている高校の統廃合に賛成する生徒はいない」として高校生の意見を聞く場は特段用意しない考えを示した。

という。とても冷たい言葉だと思う。記事ではさらに、

「子どもに意見を表明する権利がある」「選挙権年齢も引き下げられた」と会場からは批判が続出した。

地元住民や関係者から批判の言葉が噴出している。

地域住民にとっては、学校というのは私たちの「心の拠り所」。私たちのアイデンティティなのである。「学校がなくなったら寂しくなったね」という感傷的なレベルの話ではなく、地域にとってなくてはならない存在なのだ。

お上の都合で「1学年4〜8学級が望ましい」「全国でもそうだ」ということで方針を押し付けるようなやり方はダメだろう。現状からすると少子化はまだまだ続くわけで、今回の再編の後もまださらに再編へと進まざるを得なくなるのではないか。1988年がピークで全県の1学年が19000人、現在はその半分に迫り、今後さらに減っていく予測で、まさに激減といっていい。生徒減で部活動が成り立たないなどいろいろな面もあろうが、部活動をどうしても学校で維持しなければならないのか?という発想だってあって良いだろうし、1学年が2クラスや3クラスだって、いや1クラスだっていいじゃん、そんな発想があったって良いのではないか。南砺平高校はいま1クラス。地域的・地理的事情でそれが認められているなら、福光高校だって、泊高校だって、大門高校だって「3クラスでもよい」という理屈は、賢い県なら考えられるだろう。

現在40人学級を30人学級にすればどうなるか。福光高校を30人学級にすれば3クラスが4クラスになる。いや、福光や泊は、クラスを20人にしてしまって、特色を出してしまう。ピンチをチャンスに変えるって発想はどうだろうか。他県に先んじて少人数クラスを全県的に普及し(特に過疎地域は)、学力向上を勝ち取れば、「教育県」として知事はいっそう自慢できるじゃないか。

お上ばかりみているとか、他県の足並みを揃えることを気にしているような県は、高校再編の進め方もやはり上からの押し付けにしかならない。

新しい時代にふさわしい、地域が求める新しい高校のあり方を今こそ追求し、独自の教育県へと進化・発展させる道を進んではどうだろうか。

 

2017年8月12日北日本新聞より

富山県のページから、→県立学校整備のあり方等に関する報告書

県立井波高等学校のHP(古いものがきちんと残されていたのでリンクします)

南砺市長・田中幹夫さんのブログ→「高校再編について

県立高校前期再編計画に伴う井波高等学校跡地の活用に関する要望書(H21.2)南砺市HPから。この本文を読むと、再編による井波高校の廃校には「大変な落胆」をしたと記されている。井波高校が、「井波地域および住民にとって、非常に重要な存在(シンボル)」だったと。高校に限らず、学校とは地域住民の心の拠り所なのである。

井波高校の閉校式の様子を撮撮影した動画メモリアルソング、校歌は最後の2分ほど。


核兵器禁止条約に賛成しない安倍自民党は追い詰められる

昨日は氷見市内の各所を街宣で回りました。

前日の9日は、長崎の原爆の日。この日、被爆者代表らは安倍首相に対して、核兵器禁止条約に触れて、それに批准しないことについて、怒りをこめて「私たちを見捨てるのか?」と詰め寄った。(囲み参照)

安倍政権の憲法破壊、国政私物化は目に余るものがある。そうした姿勢に多くの国民が批判を急速に強めている。それは都議選での自民党惨敗や共産党の伸長、内閣改造をへてもなお内閣支持率がほとんど上昇しないことに見られるように、一過性のものではない。安倍晋三そのものに対する、強い嫌悪感が払拭できていない。

今、安倍自民党は追い詰められている。新党とか、第3極(もう死後)とか、2大政党(これも死後か)の一方からとかの力によって、自民党が押されているのではなくて、国民が安倍から急速に「離れる」という形で自民党を窮地に追いやっている、それが客観的な事実ではないだろうか。

そして、永い古い自民党支持者がどんどん離れている。自民党支持層の中枢部から崩れているという事例はあちこちで報告されている。
この前まで自民党市議だった人が、安保法制の強行とそれに対する市民的戦いを通じて自民党を離れ、今度は共産党公認の市議に当選するということが実際に起きている。
元自衛隊員という方が共産党に入党し市議や町議に当選する。

元自衛隊幹部、防衛官僚なども、普通の市民や護憲の人々と力強く手を結ぶような時代である。そんなことが現に起きている。森友、加計学園、自衛隊日報隠蔽問題に際しては、安倍政権のあまりの酷さに我慢ならなくなった官僚・政府関係者から内部告発が相次ぎ、前川元文科省事務次官が政権に体を張って対峙している。

いろんな意味で自民党の支配構造が崩れてきているのである。その背景には、まだまだ成熟度は低いかもしれないけども、日本の民主主義のレベルが着実に高まってきているということがあると思う。野党と市民の共闘はまだまだ始まったばかりではあるが、しかし力強い流れになっており、さらにそれは前進する可能性を秘めている。

富山県内でも「オールとやま県民連合」が野党間の橋渡しをし、野党統一候補をたてて2016年参院選をたたかった。共産党の側からも他の野党の側からも、過去のいきさつをのりこえて一致団結する努力が強められている。そして、次の総選挙では野党統一候補を全選挙区で必ず立てようというのがこのたたかいの到達点である。
まだまだ小さく見えるが、小さな一歩が積み重なって、それが世論に影響を与えているし、市民国民の政治的感覚を高めていることは間違いないと思う。

世界では、核兵器禁止条約採択の流れが巨大に前進している。これまで、NPT体制(核不拡散条約)のもとで、核保有五カ国の核は認めるが、それ以外の国は核開発・保有を禁じられるというものだった。これが破綻しているのは、北朝鮮の核開発の実態をみればわかることである。特定の国に核を認めるということは、特定の国の核抑止論を認め、その他の国には認めないということであり、完全に不平等である。核で威嚇された国が、「自国の安全のためには核武装するしかないではないか」という理屈を主張するならば、このNPT条約は無力なのだ。「NPTてによって核を拡散させない」という名目そのものが、最初から無理筋のものだった。

だからこそ、世界諸国民は長い間、「核兵器の全面禁止」こそが、抜け駆けして核兵器開発をしようとする国を孤立化させ、核開発を抑止する力を持つ、最も合理的な方法なのだと主張してきたわけである。それが、ついに、122カ国の賛成でもって、2017年7月7日(777の日だった!)、核兵器禁止条約は成立した。この日は、世界史にも刻まれる重要な一歩を踏み出した日といえる。

この世界の流れに、日本はどう臨むのか。核兵器固執勢力の一員として、アメリカにただ付いていくだけの国という位置に甘んずるのか、それとも唯一の被爆国として、そして憲法9条を持つ国としてこのグループから抜け出し、堂々と核兵器保有国とその同盟国に対して、「核を捨てなさい」と主張する立場にたつのか、かつてなく厳しく問われるところに来ている。

安倍首相は、核兵器禁止条約について、「我が国のアプローチと異なるものであることから、署名、批准を行う考えはない」といい放った。本当に情けない限りである。被爆者の代表が、「私たちを見捨てるのか?」と怒りを表すのは当然である。こんな姿勢では「核をなくせ」と道理を持って北朝鮮に対して主張できないではないか。

自主的な外交・安全保障の道に踏み出せない自民党の古い体質を、今こそ変革しないと、日本の未来はない。まさにそういう時代に入ったのである。

そういう思いを込めて、街頭から訴えました。

「今の時代は、市民の力で政治を変えることが可能な時代です。ご一緒に手を取り合って、新しい時代を開きましょう」と。

被爆者団体、安倍首相に 禁止条約に批准しない方針で
長崎への原爆投下から72年の「原爆の日」を迎えた9日、長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれた。平和祈念式典後に長崎市内で安倍晋三首相と面談した被爆者団体代表は、核兵器禁止条約に日本政府が批准しない方針を示していることに強く憤った。 「あなたはどこの国の総理ですか」。長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会議長を務める川野浩一さん(77)は被爆者団体からの要望書を安倍首相に手渡した際に迫った。「ヒバクシャの願いがようやく実り、核兵器禁止条約ができた。私たちは心から喜んでいます。私たちをあなたは見捨てるのですか」面談は式典後に首相らが被爆者団体から援護策などの要望を聞く場として設けられている。通常は冒頭で静かに要望書を手渡すが、川野さんは「子や孫に悲惨な体験をさせてはならないというナガサキの72年間の訴えが裏切られたという思いがあった」と異例の行動に出た理由を話す。川野さんは安倍首相に「今こそ日本が世界の先頭に立つべきだ」とも訴えたが、明確な返答はなかった。式典に参列した被爆者も、あいさつで条約に言及しない首相への失望を口にした。8歳の時に爆心地から約2・8キロで被爆した嶺川洸(たけし)さん(80)は「核兵器禁止条約が採択され、今が一番大事な時だ。わざわざ東京から来てあいさつするのに、なぜ被爆者に寄り添った言葉を語らないのか」と語った。【樋口岳大、加藤小夜】

囲みの文章および冒頭のアイキャッチ画像は、毎日新聞ウェブ版より引用しました。
https://mainichi.jp/articles/20170810/k00/00m/040/142000c